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円応寺

2005年10月7日(金)

■細川公ゆかりの寺宝

当寺は、天正12(1584)年に宿坊(参詣人が宿泊する坊)を天蓮社真譽見道上人が開山した寺院です。真譽上人は、北部九州に寺号を同じくする円応寺を中津市・小倉・福岡市の順に三ヵ寺も開山した念佛弘通に身命を捧げた僧でした。当初、円応寺は小倉城東方の寺町(現:堺町・昭和28年に現在地に移転)に位置していました。
寺町には、藩の名だたる各宗派の寺院が建てられました。往時は円応寺筋があったとのことで、当寺の隆盛を知ることができます。
さて、当寺は、関ケ原の戦いで武勲を上げて、丹後宮津十一万石より三十九万石の小倉城主となられた細川忠興公からあつく護持されました。数ある寺宝の中から今回は、その細川公ゆかりの寺宝を紹介させて戴きます。
(右:本尊阿弥陀如来)

当寺の関連する聖ケ丘幼稚園には、細川公の念持佛(日常念持し礼拝する佛像)が祀られております。この阿弥陀佛は厨子に安置され、日頃より幼稚園児によて拝まれています。その念持佛への帰依、または念佛信仰の喜びなのでしょうか、由来について定かではありませんが、当寺境内に松を藩主自らお手植えいただいたのです。藩主自らのお手植えとは最高の栄誉であり、徳高き円応寺住職の佛縁、念佛信仰のおかげであったに違いありません。
以来、三百余年も手厚く保存されてきたお手植えの松は、残念なことに、移転の際に枯れてしまいました。
移転以前の松の見事な勇姿を知る人々は、松の姿を永遠に残す為、絵師夏梅氏にお願いし、お手植えの松を描いてもらいました。
そのすばらしい額は、現在本堂内に掲げられています。 元気な頃の松は、青々として、幹の大きさは十メートルもあったとされていて、その見事な枝ぶりには“自然の雄々しさ”を感じ、見る人を感動させ続けてきたのです。
(右:細川公がお手植えになった松/絵師:夏梅氏)

当寺にお参りし、この見事なお手植えの松の額を見る人々には、“念佛信仰”が 藩主細川忠興公の心を動かし円応寺を隆盛に導いたことを知っていただき、さらに念佛に精進して頂きたいものです。
その他にも、当寺には宝永2(1705)年先祖追善菩提の為に喜捨された3畳ほどの大きく見事な大涅槃図、本堂内に安置されている 聖観音菩薩(聖武天皇の帰依を受けた高僧、行基菩薩の御作)等の寺宝がございます。
(右:大涅槃図)